暇人のオーディオ

暇人が久々にオーディオを再開します。どのくらい続くでしょうか?

2019年12月

ラグ

寒い季節になってきた。オーディオを置いてある部屋はフローリングなので、この時期になると床が冷たい。ここに引っ越す前は絨毯の部屋だったし、昨年はオーディオをほとんどやっていなかったので、寒い季節も気にならなかったが、ここにきて足が冷たく感じられるようになってきたので、ラグを敷いてみることにした。静電気を気にしなくていいように綿100%のラグを探したのだが、今はあまり種類がないようで、楽天で格安のものをポチったのが今日届いた。早速敷いてみるが、やはり質感とか厚みはイマイチな感じ。模様もあまり好みではない。しょうがないよね、安いもの。ただ、フローリングに足が直接当たらないだけで体感温度がかなり違うので、当初の目的は達成できた。さて音を鳴らしてみると、これがなんか、いい。音場の広がりが増した感じ。ついでにどういうわけか定位も改善したような気がする。余計な反射がなくなったせいだとは思うが、嬉しい変化。巷の情報ではラグの素材や敷き方でも音が変わるらしいが、とりあえずこれでいいかな。ラフマのシンフォニーが艶やかに響く。今年は暖冬のようだが、これで本格的な冬を迎える準備が、できた。

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永遠の2吹き

昔ファゴットを吹いていた時に目標としていたスターは、前にも書いたクラウス・トゥーネマンとミラン・トゥルコヴィッチが双璧だが、もう一人、ベルリンフィルのヘニング・トロークがいた。ずっと2吹きでほとんど表立った録音はないような気がするが、ベルリンフィルのアンサンブルでは頻繁に登場する貴重な人材であり、その音色の幅の広さは瞠目に値する。一度生で聴いた時はそのあまりの柔らかな音色に驚愕し、かつ魅了された。ラトルがアジアツアーをした時のドキュメント映画に出演して、”このツアーが終わったら引退するんだ”と語っているのを聞いた時は、なんだか1つの時代が終わったような気がしたものであった。なんでこんなことを思い出したかというと、久しぶりに聞いたベルリンフィルアンサンブルのグラン・パルティータに彼が出ていたから。このCD、音がやたらに厚い。軽妙洒脱な曲調が、こうも重厚な響きで再現されると、心地よいだけでなく、なんだか少し神妙な心持ちになるのが不思議。この曲はオルフェウスのCDも持っていて、そちらの方をよく聴いているし、そのひたすら開放的な演奏の方がこの曲のイメージには合っているような気がするのだが、改めて聞いてみるとこういう世界もありだな、と思わせる説得力がある。アルブレヒト・マイヤーの泣かせるような響きも美しい。管楽アンサンブルは、昔の記憶を呼び覚ますのであまり頻繁に聴く気にならないのだが、こういう郷愁じみた感覚は悪くないような気がする。

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普通のオーディオ

普通のオーディオ、ってどんなだろう、と考えることがある。情報があまねく行き交う現代とは違い、はるか昔、自分がオーディオらしきものを楽しみとしてはじめた頃は、”ど”がつくほどの田舎で暮らしていたこともあって、機種の選定、設置、接続、どれを取っても手軽に入手できる情報も資料もなく、手探りと経験則を友としてなんとなく自分なりのシステムを構築するしかない状況であった。聞きたいレコードを探すための目録を手に入れるのに取り寄せで1ヶ月待たなくてはならない、なんてことはザラで、唯一頼りとするのはオーディオ雑誌の記事とショップの店員のアドバイスのみ。そういう状況下では、いきおい構築するシステム、聴く音楽のジャンル、ソースなどはかなりの制限を受ける。雑誌で特集される”~万円の予算で組む理想のコンポーネントシステム”なんていう記事に従って、自分のシステムを購入設置する、ということが、いわゆる、”普通”、であったような気がする。自分が高校生の時初めて購入したシステムも、親のボーナスの約半分を使わせてもらって選択した、いわば”普通”のオーディオシステムであった。
SP YAMAHA NS-600
Turntable Pioneer PL-30L
AMP LUXMAN L-510
Cassette Deck SONY TC-K4
翻って現在の状況を顧みるに、オーディオソースの多様化に加え、提供される音楽ジャンルの細分化など、多種多様な音楽に対する接し方が当たり前のように”ある”ことが、情報として共有されるようになって、ステロタイプなオーディオの有り方など定義のしようがないような時代になっているようだ。そういう雰囲気の中では、いわゆる高級オーディオの世界、圧縮音源とイヤホンやパワードスピーカーのコモンオーディオの世界、その他様々な有り様のオーディオの世界はその間の連続性を絶たれ、永久に交わることがないままそれぞれがその世界の中だけで存続していくだけで、その拡がりを欠いた状態のまま縮小均衡を繰り返すしかなくなってしまうのかもしれない。自分の楽しんでいるこの”オーディオ”も、同じような価値観を共有する層はごく少数でしかないような気がするし、趣味としてのジャンルが成立しているのかどうかもあやふやではある。狭い世界の中だけの”普通”が林立する状況にはやや寂寥を覚えるが、ただ、こうして音楽を聴いていると、ひととき精神の安寧が得られることも確かなことで、そこには他者の介在する余地のない、ある種の確立された”世界”がある、と感じることができる。他者の”評価”に依存しない、狭いかもしれないけれど、心地よい無数の”普通(スタンダード)”がひっそりと林立する、それもまた趣味の一形態かもしれない。

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