普通のオーディオ、ってどんなだろう、と考えることがある。情報があまねく行き交う現代とは違い、はるか昔、自分がオーディオらしきものを楽しみとしてはじめた頃は、”ど”がつくほどの田舎で暮らしていたこともあって、機種の選定、設置、接続、どれを取っても手軽に入手できる情報も資料もなく、手探りと経験則を友としてなんとなく自分なりのシステムを構築するしかない状況であった。聞きたいレコードを探すための目録を手に入れるのに取り寄せで1ヶ月待たなくてはならない、なんてことはザラで、唯一頼りとするのはオーディオ雑誌の記事とショップの店員のアドバイスのみ。そういう状況下では、いきおい構築するシステム、聴く音楽のジャンル、ソースなどはかなりの制限を受ける。雑誌で特集される”~万円の予算で組む理想のコンポーネントシステム”なんていう記事に従って、自分のシステムを購入設置する、ということが、いわゆる、”普通”、であったような気がする。自分が高校生の時初めて購入したシステムも、親のボーナスの約半分を使わせてもらって選択した、いわば”普通”のオーディオシステムであった。
SP YAMAHA NS-600
Turntable Pioneer PL-30L
AMP LUXMAN L-510
Cassette Deck SONY TC-K4
翻って現在の状況を顧みるに、オーディオソースの多様化に加え、提供される音楽ジャンルの細分化など、多種多様な音楽に対する接し方が当たり前のように”ある”ことが、情報として共有されるようになって、ステロタイプなオーディオの有り方など定義のしようがないような時代になっているようだ。そういう雰囲気の中では、いわゆる高級オーディオの世界、圧縮音源とイヤホンやパワードスピーカーのコモンオーディオの世界、その他様々な有り様のオーディオの世界はその間の連続性を絶たれ、永久に交わることがないままそれぞれがその世界の中だけで存続していくだけで、その拡がりを欠いた状態のまま縮小均衡を繰り返すしかなくなってしまうのかもしれない。自分の楽しんでいるこの”オーディオ”も、同じような価値観を共有する層はごく少数でしかないような気がするし、趣味としてのジャンルが成立しているのかどうかもあやふやではある。狭い世界の中だけの”普通”が林立する状況にはやや寂寥を覚えるが、ただ、こうして音楽を聴いていると、ひととき精神の安寧が得られることも確かなことで、そこには他者の介在する余地のない、ある種の確立された”世界”がある、と感じることができる。他者の”評価”に依存しない、狭いかもしれないけれど、心地よい無数の”普通(スタンダード)”がひっそりと林立する、それもまた趣味の一形態かもしれない。

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